年度別受賞作品
退職や転居等により氏名公表許諾未確認の方のお名前は割愛させていただきました。
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あなたは何を売りますか

第02回 1998年度 受賞作品
入賞作品
作者名:(氏名割愛)
所属企業:婦人服販売店勤務

記事(紹介文)

 
 3年半前の大学の卒業式の前日だった。私は生れて初めて着物を着るため、髪をセットするべく美容室にいた。その前日まで私は卒業旅行と称して1ヵ月ほどミャンマーやタイ、バングラデシュを貧乏旅行していた。そのため顔は真っ黒、パーマの取れかかった髪はボサボサでひどいなりだった。しかし、私の髪をセットしてくれたHさんというベテランの美容師さんは、そんな私を変人扱いすることなく、私の旅の話を笑いながら聞いてくれ、他の若い美容師らに「ほらこの子、ミャンマーを一ヵ月旅行してきたんだって」などと言いながら、笑顔を絶やさすことなく、テキパキと髪を整えてくれた。
 「ほら、産毛そったら、顔少しは白くなったわよ」というHさんの所には、就職してからもひと月に1回は通って仕事の話を聞いてもらったり、肩のマッサージをしてもらったりした。このHさんは、私が尊敬する接客のプロの一人だと思っている。そして自分も今、販売員として何が売りなのか、ずっと探し続けていた。
 販売員として3年目の夏のある日、バーゲンも終わり、店はもちろん館内はガランとしていた日だった。最終処分の1000円のTシャツ1枚でも売れればうれしいという心境だったとき、足の不自由なおばさんがやってきた。私は商品整理をしながら観察していたが、あまり熱心にアンサンブルを見ているので、声をかけてみた。「色をお迷いなんですか」。すると、おばさんは「たまには気分転換に違った色でも着てみよかと思ってね。買うかどうかも分からないんだけど。なんせねえ。毎日毎日病院通いでしょ。もう、うんざりだよ。かといって、こんな年金暮らしじゃねえ。この5900円のお洋服だって、買ってる余裕はないんだよ」とつらそうに言う。私は他にお客様がいなかったこともあって、「着てみるだけでもよろしいですよ」と2色ほど取り出して、「こっちの色は顔映りがいいですよ」と説明を始めた。おばさんはにっこり笑って、「ごめんなさいね。もう少し考えてから来るわ」と言って行ってしまった。私は、もしかしたら買ってもらえるかもと思い始めていたのでとてもがっかりした。
 すこし暗い気持ちで仕事をしていると、またあのおばさんが来てくれた。「やっぱりアンサンブルいただくことにするわ。私もたまには気分転換しなくちゃね。それから、あんたの笑顔は素敵ね。あんたの笑顔を買ったのよ」と言ってくれた。その瞬間、涙が出そうなのをぐっとこらえて、心から「ありがとうございました」と言っていた。
 そのことがあってから、自分の売りは「笑顔」なんだと気付き、仕事でつらいことがあっても、できるだけお客様には最高の笑顔で接しようとしている。

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