年度別受賞作品
退職や転居等により氏名公表許諾未確認の方のお名前は割愛させていただきました。
作品ジャンルで探す
作品カテゴリーで探す
キーワードで探す
各記事には関連キーワードを設定しています。
自転車・メガネ・子供・感激…などキーワードを入力してください ※複数は(カンマ区切り)

心に残るお客様

第08回 2004年度 受賞作品
入賞作品
作者名:豊島麻希
所属企業:㈱虎屋 営業本部

記事(紹介文)

 
 初夏、初めてご来店された時、そのお客様は無口でぶっきらぼうな印象でした。私たちが働くのは、丸の内にある、店員4人の小さな売り場です。お客様はスーツ姿の男性が多く、たいていは穏やかで気さくな方ばかりです。そんな中、その男性のお客様は難しいお顔つきでご来店されました。年の頃は60歳前後、痩せ型に浅黒いお顔で、話しかけても表情を変えないまま一言、二言しかお話しになりません。当然、そのお客様は私たち店員の中で印象深く記憶されることになったのです。
 お客様は月に2、3度いらっしゃるようになりました。お客様のお名前や会社名、その会社が入っているビル、お好みの商品や、お釣りは5000円札でなく1000円札を望まれることなどの特徴を発見する度に、私たちは全員でそれらを報告し合いました。次にご来店される時には少しでもご満足頂けるサービスを提供したいという気持ちが皆に共通していたからです。
 そんなことが続くうち、お客様が笑顔で「ありがとう」と言って下さるようになったのです。私たちがお客様のお顔やお好みを覚えていることに対して、少しびっくりしたような表情をされたあと、にっこりと微笑まれる様は私たちの心を温かくして下さいました。
 ある日、自転車で配達から帰ってきた店員が、開口一番、私にこう報告しました。「途中、あのお客様にお会いしました。ご挨拶したところ、始めは気付かないご様子でしたが、すれ違ったあと私の背中に向かってご挨拶を返して下さいました」。嬉しそうにそう言う彼女のことを、以前そのお客様は、「自分の孫にそっくりだ」と目を細めておっしゃったことがありました。私はお客様のいつものびっくりしたお顔や、彼女に気付いて慌てて挨拶を返すお姿を思い浮かべ、微笑ましい気持ちになりました。その頃にはその方はすでに〈恐いお客様〉などではなくなっていたのです。
 ところが驚いたことに、その日の午後、お客様がわざわざご来店されたのです。「さっきあの子とすれ違ったのに、目が悪くてなかなか気付かなかったんだよ。せっかく挨拶してくれたのに悪いことをしたなと思って。ちょうど得意先へのお土産が要るから、せっかく買うならここで、と思い付いて来たんだよ」。そう私にお話しになるお客様の目は柔らかく、私はそんなふうに思い出して頂ける自分の店と店員を誇らしく思いました。
 このお客様との間に、今述べた以上の特別な事件があったわけではありません。また、この話はどの売り場にもある小さな日常の出来事かもしれません。しかし、こうした小さな喜びがちりばめられているからこそ、私たちの仕事は「ものを売る」以上の意味を持つのだと思うのです。お客様は初冬を迎えた今も、厳しいお顔でご来店し、最後にはにっこり微笑んでお帰りになります。

タグ(関連キーワード)

コンセプト 審査委員長紹介 お問い合わせ 日本専門店協会サイト プライバシーポリシー
Copy right (c) Japan Specialty Store Association All Rights reserved 2009.